ねるこの脳内小宇宙

鬱病シングルマザーの徒然

まだまだ夜は続く

雨上がりの夜、外から虫の声がします。

悪くない夜です。

死にたくもなりません。病状は安定していると思われます。

 

「死にたい」わたしの場合、鬱病になったはじめの頃、毎日四六時中考えていたことです。

「具体的に、どういう方法で、どうすれば他人に迷惑をかけずに死ねるか?」

そんなことを「今晩の夕食なににしようかしら?」ぐらいの感じで考えてました。

しかしその頃、やっとトイレに自分で行けるぐらいで、遠出はおろか高い場所にロープをかけるとか家以外の場所に行くとか、まあなあんにもできなかったので幸いいま生かされていただいております。

「具体的に、どういう方法で、どうすれば他人に迷惑をかけずに死ねるか?」

そんなこと、いまの日本でどだい無理な話なんです。生きるの同様死ぬのも金かかるし、わたしこどもいるし。ママの遺体なんてできうるならまだ見せたくない。死ねなかったのは、こどもがいたから思いとどまれたという部分も大きい。

祖母の介護をした経験も大きいです。人って生かされててそれって有難くも苦難の道でもあり、でも生きるしかないんだなあ、と。

人一人の存在って、自分が思う以上にまわりにとっては大きい。

祖母が認知症になり、わたしのこともわからなくなり、昨年老衰でなくなった今も祖母のことを考えることがあります。思い出すとかいうのではなく、「あ、おばあちゃんも連れてこなくちゃ」みたいな。おばあちゃん子だったので。もし、祖母が認知症にならずにいきなりなくなっていたら、もっと悲しみは深くひきずっていたかもしれません。でも、認知症になり、祖母がそれまでの祖母でなくなり、しんどい介護生活があったから、気持ちの整理もつけやすかったです。ありがとうおばあちゃん。

でもできるなら、祖母のようにはなりたくない。

迷惑かけずに静かにひっそりと死にたい。

あ、はじめに死にたくもないってかいたのに結局これかよ。

夜中に死について書くなんてだめですね。

わらえなーい。

 

それから

「具体的に、どういう方法で、どうすれば他人に迷惑をかけずに・・・」

それが生きるも死ぬもどちらにしろ無理なので、わたしは「消えたい」と思うようになりました。四六時中思っていて、いまもたまに思います。

こういう話をすると、「わたしもよくある〜」なんて同意を健康な方からいただくのですが、憂鬱や鬱状態鬱病のそれとはまったく異なります(とわたしは感じる)

鬱病=脳の病気なんだなってつくづくおもいます。

わかってもらえないけど。

 

あ、新聞屋さんが来た。

おつかれさまです。